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高松高等裁判所 平成11年(う)149号 判決 2000年12月13日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中四九〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中村詩朗(主任)及び同猪崎式典共同作成の控訴趣意書に記載のとおり(ただし、本件控訴の趣意は、事実誤認の主張につきるものである旨、同主任弁護人において釈明した。)であり、これに対する答弁は検察官有本恒夫作成の答弁書及び同補充書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、原判決は、被告人が、昭和五七年八月一九日(以下「本件当日」という。)午後二時過ぎころ、訪れていた松山市勝山町にある××ビル七〇三号室の甲野花子(以下「甲野」という。)方において、甲野を殺して同所にある現金や家具などを奪い取ろうと考え、同所にあった同女の帯締めで同女の首を絞めて、同女を外力性急性窒息により死亡させた上、現金一〇万円が入った札入れ、普通預金通帳二冊及び印鑑一個を奪い取り、さらに、同日午後八時ころから午後一〇時過ぎころまでの間、事情を知らない被告人の夫乙川太郎及び親しく付き合っていた遠戚の丙山二郎(以下、それぞれ「太郎」「二郎」という。)と一緒に家財道具を甲野方から運び出して奪い取った旨の強盗殺人の事実を認定したが、被告人は、自己と同性愛関係にあった甲野との感情のもつれから同女を殺害し、殺害後に本件の被害品を領得する意思が生じてこれを窃取したものであって、本件は殺人罪と窃盗罪によって処断されるべきであり、また、この場合、窃盗罪については公訴時効が完成しているので公訴が棄却されるべきであるから、本件強盗殺人の事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかし、右に主張するところは、原審の訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われていない事実に基づくものであり、かつ、それにつき、やむを得ない事由により原審で立証できなかったことの疎明もないから、適法な控訴理由に当たらない(所論は、被告人が原審において甲野との同性愛関係を巡る事実を供述しなかったのは、被告人が逮捕されてからのマスメディアによる報道が異常なほど過熱していたため、甲野との同性愛関係や同女との同性愛行為の際にバイブレーターを使用したことを被告人が供述すると、これが全国にセンセーショナルに報道され、これにより被告人自身が恥ずかしいばかりでなく、子供たちにも恥ずかしい思いをさせ、更には被害者である甲野の名誉を傷つけ、その遺族にも精神的衝撃を与えることになるからである旨主張するが、こうした事情は、原審で立証できなかったことをやむを得ないとするものとはいえない。)。

そこで、以下、職権により、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討する。

一  原判決挙示の関係証拠を総合すると、原判示の事実は、被告人による甲野の殺害の動機・目的が、甲野方にある現金、預金通帳及び家財道具を奪い取るためのものであるとの点を含め、これを優に肯認することができる(もっとも、原判決の「罪となるべき事実」中、「甲野が飲酒による酔いや眠気のため、激しく抵抗することが困難な状態に陥ったことから、咄嗟に」とする点、及び、「ソファーに座っていた甲野の正面から本件帯締めを甲野の首の後ろにかけて前で一回結んだうえ」とする点については、これに沿う被告人の供述がなく、また、これを直接裏付ける証拠もないのに、その他の周辺事実に基づき右各事実を推認するのは相当でないというべきであるが、この事実認定の誤りは、その内容・程度にかんがみ、判決に影響を及ぼすものとはいえない。)。当審における事実取調べの結果によっても、この判断は動かない。被告人の捜査段階、原審及び当審における各供述等中、右認定・判断に抵触する部分は前記関係証拠と対比して信用することができない。以下、所論にかんがみ、説明を補足する。

二  まず、関係証拠によれば、少なくとも以下の事実が明らかに認められる。

1  被告人は、昭和五七年三月五日ころから同年四月二日ころまで松山市にあるスナック「○○」でホステスとして働き、この間、同じく同店でホステスとして働いていた甲野と知り合ったものであるが、被告人と甲野との関係は店の同僚以上のものではなく、両名の間に特段怨恨等が生じうる事情はなかったこと、

2  被告人は、夫太郎に内緒でサラ金会社から借金を重ね、自分の名義では新たな借入れができなくなると知人等の名義を借りて更に借金を重ね、昭和五七年八月当時には、サラ金会社に対し合計約二〇〇万円の借金を負うに至っており、元本の返済の目途はなく、経済的に苦しい状況にあったこと、

3  被告人が、本件当日午後一時ころ、××ビルの甲野方を訪れ、同日午後二時過ぎころ、甲野方にあった甲野の帯締めで同女の首を絞めて同女を殺害し、その死体を甲野方にあったナイロン製紐、タオルケット及び毛布等を用いて梱包し、これを人目につかない××ビルの非常階段に運んだこと、

4  被告人が、甲野を殺害後、甲野方から同女が所有する現金一〇万円が入った札入れ、普通預金通帳二冊及び印鑑一個を持ち出したこと、

5  被告人が、その後も逃走することなくそのまま××ビルの非常階段等にとどまり、同日午後七時前後に太郎及び二郎に対し、それぞれ電話で引越しをするので直ちに手伝いに来てくれるように依頼し、また、電話に出た二郎の妻春子(以下「春子」という。)に対しても、銀行に行って欲しい旨依頼し、事情を知らない同女に右4で持ち出した預金通帳等を用いて銀行からお金を引き出すことを頼んだこと、

6  被告人は、太郎及び二郎が来る前に、甲野と半ば同棲状態の関係にあった丁谷三郎(以下「丁谷」という。)が甲野方に帰って来た際、丁谷に顔を見られることも厭わず、自ら甲野方のブザーを押し、出てきた丁谷に対し、甲野が唐子浜(当裁判所注・愛媛県今治市内の海岸)にいるから来てくれるよう言付けを頼まれているなどと虚偽の事実を告げて、丁谷を甲野方から唐子浜まで外出させ、これによって甲野方から家財道具を搬出する時間を作り出したこと、

7  被告人が、××ビルに到着した太郎や二郎とともに、同日午後八時ころから、約二時間をかけて甲野方の家財道具のほとんどを搬出し、これらを被告人が同月七日に賃貸借契約を結んで借りたものの未だ家財道具が入っていなかった松山市宮田町の△△ビル六〇四号室の被告人方に運び込んだこと、

8  被告人が、翌二〇日に、右5で春子に依頼したとおり、春子をして右4で持ち出した預金通帳等を使用して、兵庫相互銀行松山支店から現金六四万三〇〇〇円、伊予銀行大街道支店から現金一二万一〇〇〇円を引き出させたこと、

9  なお、右3で被告人が梱包し××ビルの非常階段に置いていた甲野の死体については、右7の際、被告人が太郎とともに同人のボンゴ車に積み込み、翌二〇日未明に松山市久谷町の山林に埋めたこと、

以上の事実が認められるのであって、これらの事実を総合すると、甲野殺害の動機・目的について他に特段の事情がうかがわれない限り、この動機・目的が甲野方の現金、預金通帳及び家財道具の奪取にあったことは、これを優に推認することができる。

三  これに対し、原審弁護人は、被告人が甲野を殺害した動機・経緯には被告人と甲野との間にあったスナックを共同経営する話がもつれたことにある旨主張し、被告人も捜査段階の後半及び原審において、要旨、以下のような事情があった旨供述する。

「被告人が、本件当日、甲野との間で出ていたスナックを共同経営する話を進めるため甲野方を訪れ、同女からリンゴやコークハイを出してもらうなどしながら同女と話をしていたところ、同女が被告人に対し、いつまで甲山(当裁判所注・被告人の愛人の甲山四郎。以下「甲山」という。)と付き合っているのかなどと被告人を侮辱する発言をし、被告人が今日はスナックの共同経営の話をするために来たものであると言うと、甲野はこれを断った上、鏡台の引出しから財布を出して車代ぐらいやったら持って帰りと言って、被告人の方に財布を投げ、被告人に背中を向けたまま足を組んでへアブラシで髪をとかし、頭を左右に振ってふけを落としたりして被告人を馬鹿にするような態度を取った。被告人は甲野を謝らせたくてテーブル上の果物ナイフを持ち、これに気付いた同女と揉み合いになり、その右手人差指に怪我をさせたので、血を止めるために同女にティッシュペーパーとハンドタオルを渡した。甲野が被告人に対し、警察に言うと言ったので、これに対し被告人は謝ったが、それでも甲野はこのことを警察に言ったら甲山との関係も終わりやなどと言うので、これに立腹した被告人が甲野につかみかかろうとしたところ、逆に同女から胸を蹴られてひっくり返り、そのとき、帯締めが見えたのでとっさに同女を殺害する気になり、この帯締めで同女を絞殺した。この時には、甲野の金品を取る気にはなっていたが、家財道具の窃取はこの後に同女の失踪を装うために思いついたものであり、これらが欲しかったものではない。」

しかしながら、関係証拠によれば、被告人と甲野との間には当時スナックを共同経営する話がなかったか、仮に被告人が甲野に対しこうした話を持ちかけたことがあったとしても何ら具体的な話にはなっていなかったこと、及び、甲野の性格等は、穏やかで争いごとを好まず、その口調もゆっくりしており、口汚く人をののしるようなこともなかったことが認められるのであるから、同女から侮辱的な言動をとられたというのがそもそも疑わしい上、仮にそうとしても、何ら具体的な話になっていないスナックの共同経営の話が断わられたことを契機としてついには殺意まで生じるというのは極めて不自然であるし、また、甲野から突然被告人が甲山と交際していることを非難されたという点もいかにも唐突であり、甲野殺害の動機・経緯がスナックの共同経営の話がもつれたことにあるとの被告人の前記供述は信用することができない。なお、関係証拠によれば、甲野方のソファーに血痕が付着していることや甲野の死体の右手辺りにタオルがあったことなど、被告人が甲野の右手に怪我をさせたとの被告人の前記供述に符合する事実が認められ、その限度では被告人の前記供述を信用することができるけれども、これによって前記供述の根幹部分であるスナックの共同経営の話のもつれから本件が生じたとする部分までをも信用できるとするのは相当でない。被告人の前記供述に依拠した原審弁護人の主張は採用することができない。ちなみに、被告人自身、当審においては、このスナックの共同経営の話がもつれたことが甲野殺害の動機・目的ではないことを自認している。

また、原審弁護人は、物が豊かになった現在他人の家財道具を狙った殺人などおよそ考えられず、家財道具の搬出は甲野の失踪を装うため殺害後に思いついたものである旨主張する。しかしながら、甲野の家財道具が相当の経済的価値を有していることは関係証拠に照らして明らかであるのみならず、前記二7のとおり被告人は△△マンションに部屋を借りていたから、家財道具を運び込む場所を有しこれらを使用する具体的目途もあったこと、甲野が持っていた家財道具は高価なものが多く、良家の子女を装っていた被告人にすればこれらを甲山に見せることによって同人に対し見栄を張ることができ、実際、被告人は後日甲山に対し甲野方から搬入した家財道具を見せて自慢気に振る舞っていること、貴金属等は被告人が実際に使用しない場合でも売却や質入等によって現金化できることなどからすると、甲野の家財道具を奪取するために殺人を犯すことは十分考えられることで何ら不自然とはいえない。そして、家財道具を搬出することはとりもなおさず甲野の失踪を装うことになる訳で、両者は殺害前に意図された動機・目的として矛盾なく両立しうるものである。そうすると、原審弁護人のこの主張も採用することができない。

四  そこで、次に、当審弁護人の所論について検討することとする。

所論は、本件の殺人は、同性愛関係にあった甲野との感情のもつれから発したものであって、殺害後に金品を領得する意思が生じて預金通帳等を窃取したものであり、家財道具を持ち出した理由については、甲野の失踪を装うこともあったが、一番の理由は、同女との同性愛行為の際に使用したバイブレーターを処分したかったが見付けられなかったため、家財道具を持ち出した後でこれを探し出すためであった旨主張し、被告人も当審においてこれに沿う供述する。

1  被告人の当審における供述(当審において取り調べた被告人作成の陳述書を含む。以下同じ。)は、事件の発生からすでに約一七年以上もの長期間が経過しているにもかかわらず、甲野と知り合う経緯、同女との付合いの内容、本件当日に同女を訪ね殺害するまでの経緯等について、あたかもこれらがつい今し方起こった出来事であるかのように同女との会話の一語一語、その挙措のひとつひとつ、その折々の被告人の心情についてまでこと細かに再現した極めて詳細なものであるが、あえてこれをまとめると以下のとおりである。

「被告人は、○○に勤め始めて、甲野を知ったものであるが、同女が被告人の肩や腰に手を回して触れてきたり、さりげなくその髪に触ってきたりし、その際の微妙な感じから甲野が同性愛者であることに気付いた。被告人は、○○を辞める前ころに、甲野から甲野方への道順を書いた紙をもらい、いつでも遊びに来てと言われた。被告人は、甲野が店を持ちたい意向であると聞いており、同女が多く客を持っており、資金もありそうで、しかも自分に好意をもってくれていることから、同女に店の共同経営の話を持ち掛けてみようと考え、昭和五七年七月上旬ころ、甲野方を訪れたところ、同女は被告人を歓待して家の中に入れてくれた。被告人は、甲野に店の共同経営の話をしたところ、同女はこれに乗り気であると感じた。また、甲野から被告人の彼氏について聞かれたのでサラリーマンの甲山と付き合っている旨告げたところ、甲野からそんな男とは別れたらいい、パトロンを紹介する旨言われた。こうして話をするうち、甲野の方から同性愛行為を求められ、被告人もこれを受け入れる気になり、甲野と同性愛の関係を結んだ。その際、甲野はバイブレーターを取り出してきてこれを使用した。被告人は帰りがけに甲野から二万円を握らされた。本件当日、被告人は、店の共同経営について甲野の返事を聞くため、甲野方を訪ねた。雑談の後、甲野が被告人の肩に手を回して抱き寄せてきたが、被告人は、子供らと海水浴に行って日焼けし肌が痛かったのでこれを拒んだところ、被告人が甲山と海水浴に行ったものと邪推した甲野から、甲山とは早く別れたらと罵倒された。そして、被告人が今日は同性愛関係を持つために来たのではなく、お店の話の返事を聞くためにきた旨告げると、甲野はつっけんどんにこれを断り、さらに、札入れを被告人の方に投げて車代ぐらいなら持って帰りと言ったことなどから、被告人は怒りのあまり目の前にあった果物ナイフを手に取って立ち上がり、これに気付いた甲野と揉み合いになり、同女の手に怪我をさせた。被告人は、甲野に謝ったが、同女はこのことを警察に言うなどと言ってうすら笑いを浮べたのでこれに激高した被告人が、甲野につかみかかろうと瞬間、逆に同女から胸を蹴られて転倒した。甲野は見下すような態度で店をするなら被告人なんかとはしないと言った。ここにおいて、被告人は、自分は甲野に騙された、共同経営の話もパトロンの話もすべて被告人の身体を弄ぶための甘言に過ぎなかったことに気付いて、屈辱と憤怒が突き上げて、甲野に対する殺意が生じ、絨毯の上にあった帯締めを手に取ると、同女の首にこれを掛けて締め上げ同女を殺害した。甲野を殺害後、その死体を梱包し、マンションの非常階段まで持ち出した。甲野方に戻って現場の片づけをしているとき、甲野との同性愛関係を知られたくないために、同女との同性愛行為の際に使用したバイブレーターを持ち出さなければならないことに気付いて探したが見付からなかった。このとき、預金通帳や印鑑、札入れが目について取る気になって持ち出し、非常階段まで戻った。午後六時半ころになって、バイブレーターを徹底して探し出すとともに甲野が失踪したことを装うことにもなると考え、家財道具を運び出して△△マンションの被告人方に搬入することを思いついた。そして、太郎と二郎に家財道具の運搬を依頼し、これらを△△マンションの被告人方に搬入した。翌日、被告人は、右被告人方でバイブレーターを探し出したところ、整理ダンスの引出しから二つのバイブレーターを発見した。被告人はこれらを大洲の自宅に持ち帰り隠していたが、同月二四日、逃走の際にこれらを持って出て、松山の戍田五郎方に寄って右戍田に今治まで車で送ってもらうことになった際、戍田方の押入れの中に置いてきた。」

2 そこで、この被告人の当審における供述の信用性について検討する。

(一) まず、甲野が同性愛者であったか否かについて検討するに、被告人の当審における供述を除き、これをうかがわせる証拠は全くなく、却って、甲野と半ば同棲状態の関係にあった丁谷の供述調書や原審証言、甲野の親しい友人であるA及びBの各供述調書等によれば、むしろ甲野が同性愛者でなかったことが認められる。

所論は、昭和五七年当時の地方都市においては同性愛関係は忌むべきものとの観念が強く支配しており、親しい友人間においても相手が同好のものでない限りこうしたことは秘事であり、かつ、同好の者でない限り感じ取れないものであるから、第三者の供述等によってこれを否定することはできない旨主張する。しかしながら、たしかに同性愛関係が秘事である面はあるとはいえ、これが当該同性愛者と近しい者によっても一切感じ取りえないとも言い難いのであって、丁谷は甲野と半ば同棲状態の関係にあり、将来は結婚も考えていた者であり、右AとBはいずれも甲野と親しく、特に右Aは甲野とは性生活の相談に応じるほど親しい仲であった者であることからすると、右丁谷らの供述等は十分信用することができる。この所論は採用の限りではない。

(二) また、被告人の当審における供述中、本件当日、甲野が被告人に対しとった言動は、前記三でも触れた甲野の性格等とはあまりにかけ離れた異常ともいえるものであって、にわかに信用することができない。

(三) さらに、被告人の当審における供述は、甲野との同性愛関係を知られたくないために、同女との同性愛行為の際に使用したバイブレーターを持ち出そうと考えて家財道具を持ち出したとするが、被告人にとっては現場から逃走するなり、あるいは現場の指紋を拭き取るなどして自分が甲野殺害の犯人であることが分からないようにすることの方が重要であり、かつ、そのことを考えるのが被告人の置かれた状況からして自然でもあるのに、自分が甲野殺害の犯人であることに結び付くわけでもないバイブレーターの持出しを考えたというのは、考え方としておよそ不自然である上、仮にバイブレーターを探すにしても、引越しを装って家財道具を運び出すよりは、同所にとどまったまま探す方が、バイブレーターの大きさや甲野方の広さなどからしてはるかに短時間に、かつ、容易にこれが可能であることは明らかであるから、その方法もまた明らかに不自然かつ不合理であるといわざるを得ない。そして、被告人はこのバイブレーターを逃走の途中、戍田方の押入れに隠した旨供述するが、前記戍田は、原審において、その後この家から転居したがそのようなものは無かった旨明確に供述しているのであって、この点の裏付けもない。

(四) ところで、この同性愛関係にあった甲野との感情のもつれに関する主張がなされた経緯について、所論は、この主張は一件当審において初めてなされたもののようにみえるが、被告人は原審弁護人に対して原審での被告人質問前に同旨の供述をしているから、この主張は原審段階から一貫したものであって信用することができる旨主張する。たしかに、被告人の当審における供述中には、これに沿う供述部分があること、当審で取り調べた上申書(当審弁護人請求証拠番号一番の一、二)等によると、平成一〇年八月一三日ころ、被告人がこの同性愛関係の主張を記載した上申書を原審弁護人に対し送っていることが認められる。しかしながら、原審弁護人のうち弁護人薦田伸夫は、捜査段階である平成九年八月一一日に選任されているのであって、被告人としては、少なくとも同弁護人に対してはこの主張をもっと早くする機会があったのにこれをしておらず、却って、捜査段階では、甲野を殺害したのは丁谷である旨の供述をし、その次には、取調べ当時既に死亡していた知人のCが甲野を殺害したものであるなど思いつきともいえる弁解を行ってまで自己の責任を軽減しようとしていたこと、そして、右の上申書も、原審被告人質問において検察官等から被告人の弁解の不自然さを追及された後のものであることなどからすると、この主張は、原審段階でスナックの共同経営の話がもつれたことが本件の動機であるとの弁解を維持することが困難になったためになされたものとみることができる。

所論は、被告人がこの同性愛関係にあった甲野との感情のもつれに関する主張を原審段階で出さなかったのは、この主張をすれば、マスメディアの過熱報道により自分が恥ずかしい思いをしたり、甲野の遺族を傷つけるからであり、また、この主張を法廷に出さなくても本件犯行の計画性が否定できたと考えたからである旨主張する。しかしながら、前者のマスメディアの過熱報道云々については、この同性愛関係の主張の内容は前記四1のとおりであって、同性愛関係が絡んだ殺人といっても、別れ話や三角関係等から殺人に及んだり同性愛行為の際に殺人に及んだためにその同性愛関係の詳細を述べなければならないというものではなく、もともと同性愛者であった甲野が甘言を用いて被告人にその関係を求めてこれまでこうした経験がほとんどなかった被告人を都合良く弄んだ上、被告人が甲野の意に沿わない態度を取るや、豹変して傲慢ともいえる態度をとって被告人を侮辱したために、甲野に騙されたと感じた被告人が屈辱と憤怒から同女を殺害したというものであるから、これが真実であるとすれば、強盗殺人という最も重大な罪に問われている被告人としては、マスメディアの報道といった点を考慮してもなおこの主張をするのが自然であると思われ、殊更に共同経営の話のもつれという虚構を弄してまで隠ぺいしなければならないこととは思われない上、後者の計画性を否定できればそれでよかったとの点についても、この主張は、単に強盗殺人の計画性を否定できるというにとどまらず、本件が強盗殺人の事案であること自体の否定につながる本質的なものであるから、強盗殺人の計画性が否定できたことに満足してこの主張を出さなかったというのも容易に納得できるものではない。この所論も採用の限りでない。

(五)  なお、被告人の当審における供述中には前記四1でまとめたほかに、甲野殺害に使われた帯締めが同女の首の右前で強く結ばれていたことに関して詳細に説明する供述部分があるところ、所論は、この供述部分が同女の死体の客観的状況等と符合しており、これによっても被告人の当審における供述の信用性が裏付けられる旨主張するが、当該供述部分と甲野殺害の動機・目的が同性愛関係の感情のもつれにあったか強盗にあったかの認定とは必ずしも結び付くものではないから、仮にその供述部分の信用性が認められるとしても、これによって被告人の当審における供述の根幹部分である右殺害の動機・目的が同性愛関係の感情のもつれにあるとする部分の信用性までもが裏付けられるものとはいえない。

3 そうすると、同性愛関係にあった甲野との感情のもつれが本件の原因であるとする被告人の当審における供述は、不自然でこれを裏付ける証拠もない上、その主張の経緯に照らしても信用することができず、これに依拠する所論も採用の限りでない。

そして、記録を精査しても、他に甲野殺害の動機・目的が甲野方の現金、預金通帳及び家財道具の奪取以外にあったことをうかがわせる特段の需要を見出すことはできない。

その他、所論にかんがみ検討してみても、原判決には所論の事実誤認はない。

五  なお、検察官は、原判決は、本件犯行の計画性を否定するが、この犯行は、被告人が綿密かつ周到な計画を立て、入念な準備を重ねて敢行した計画的なものであると主張するので、最後にこの点について簡潔に付言する。

関係証拠によれば、たしかに、検察官が指摘するとおり、被告人が、太郎や二郎に対し、ホステスがそのパトロンから逃げるための夜逃げがあるなどとしてその際には引越しを手伝ってくれるよう依頼していたことや、被告人が、本件犯行の前日ころ、甲山に対し、同人が出張から帰ってくるときには△△マンションの被告人方に家財道具が入っているなどと言っていたことが認められるのであって、これらの事実によれば、本件犯行が計画的なものであるとの検察官の主張もあながち根拠がないとはいえないものの、他方、右の事実は被告人が△△マンションの被告人方に家財道具を入れようとの漠然とした願望を抱いていたことをうかがわせるに過ぎないとの見方も可能で、それ以上に本件当日甲野を殺害して家財道具を入手しようとしていたことに直接結びつくものではない上、関係証拠上、被告人が甲野方に出掛ける際、甲野を殺害するための凶器や死体の梱包材料を持参していた形跡はなく、また、事前に太郎や二郎から本件当日に引越の手伝いをすることの承諾を得ていた事実もないことなどに照らすと、被告人が、本件当日、甲野方を訪れるときに既に甲野を殺害することを決意していたとまで認定するには、なお合理的な疑いを入れる余地があると言わざるをえない。検察官の右主張は採用することができない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を、当審における訴訟費用について刑訴法一八一条一項ただし書をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・島敏男、裁判官・浦島高広、裁判官・齋藤正人)

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